午前0時のメランコリー

前回のビルマの件、要約すると
1942年春、ビルマ攻略戦に参加した帝国陸軍第33師団(師団長桜井省三中将)は、当時英領最大の油田施設があったエナンジョンを占領したのち、マニワ、カレワを平定、次いで港湾都市アキャブを占領し、英印軍と蒋介石重慶軍に大きな打撃を与えて退却させ、ビルマ攻略に貢献した。作戦終了後、この戦勝を記念する塔碑を建立することになり、地元ビルマ人の協力を得て立派な碑が建てられた。その時、第33師団のある参謀が、敗戦した英印軍の将兵を弔うのも武士道の教訓であると主張し、碑の傍に「英印軍無名戦士の墓」を建てた。時が過ぎ、1945年春、日本軍を駆逐してビルマを奪還した英軍は、この墓を目にしていたく感激し、指揮官のルイス・マウントバッテンは建立に関わった人々を調査させ、武装解除後も彼らを礼遇するよう命令し、そのおかげで桜井中将(当時は第28軍司令官)らは捕虜となってからも比較的待遇は良かったという。

後日譚として、1953年、諸事情により日本軍の戦勝記念碑が撤去されることになると、当時の英陸軍省(現在、英国の陸海空三軍は国防省に統合されている)は日本側にこれを通知し、礼を失しない配慮を示した。

エエハナシでしょ?
マウントバッテンは先のビルマ戦で自分の経歴に泥を塗った日本軍、というか日本人を終生憎み続けたらしいけど、この時は王族としての度量を示しましたな。まあイギリス人も(もちろん日本人もね)いろいろとアレなところはあるけど、満州に侵攻するやいなや、児玉元帥の像を叩き壊したソ連軍とは民度が違いますわ。

ひとつ残念なのは、桜井中将に「英印軍無名戦士の墓」の建立を提言した参謀の名が分からないこと。その頃、村田孝生大佐、山之口甫中佐、井田正孝少佐らが第33師団の参謀だったので、この中の誰かだと思いますが。こういうのもちゃんと誰にでも見られるように記録に残しておいて欲しいですね。負の遺産だけじゃなくて。